憤慨!くままま流【怒りの気持ち】との向き合い方

こころ
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やあ~!

生きていたら日常で毎日色々なことがあります

みなさん、日常の中に「腹が立つこと」「怒りが出ること」ってありますよね

くまままも もちろんあります

実はわたしは「怒り」について長年悩んできました

イライラしたり、思っていないことまで怒りにまかせて言ってしまったり、その後自己嫌悪に陥ったり…はたまた怒りを我慢したり…自分の中の空気は最悪…

怒るのには体力と気力がいるので、心身共にとっても疲れる

正直言って、怒りたくない!

そんな「怒り」に悩むわたしが、試行錯誤の上にやっと最近は比較的上手く「怒り」と付き合えているように思うのです

今日は くまままの「怒りの感情」との向き合い方、付き合い方のお話しです

普段は比較的穏やかな方だと思う くままま…

自分で言うのもなんですが、怒ったらめっちゃ怖いです 笑

怒りの感情を認める

わたしは 事実を客観的に自覚するのが苦手でした

渦中にいる時、自分が「怒っている」という事実を自覚出来なかったのです

「怒っている」事実を認めるまでの道のりはなかなか長いものでした

・・・・・

まず幼少期のくまままは比較的容易に感情をあらわにする子供でした

喜怒哀楽をそのまま出す表現者です

まあ小さい子供らしい子供です

そして「怒り」の割合はやや多めだったように思います 笑

それがだんだん成長するにしたがって、「しっかりしなくちゃ」「良い子でいなくちゃ」「あれしちゃダメ」「これしちゃダメ」と気付かぬうちに自分で自分をがんじがらめにしていたのです

関連記事 「やらなくてはいけない」…本当に? | 楽ちんな珈琲タイム (rakuchinkohii.com)

なので当然のように、かつての わたしは「怒ってはダメ」と自分に対して思っていた人間です

というのも、周りに怒っているヒトがいると「うわ~~いやだな~~空気悪いな~~」と思っていたから

自分の中にも「怒り」の感情があるのは知っていたので、自分はあんな風になりたくないな~から始まり、嫌な人ではなくて良い人でいたい、だんだんと無意識に「怒らない人でいなければならない」と思い込んでいました

嫌な人=怒る人

良い人=怒らない人

というバカげた方程式がいつしか自分の中にまかり通っていました

自分に「怒り」を封印されたようなもの

なので、自分では自分を「怒らない人である」と思い込んでいたのです

しかし、現実は・・・

「姉ちゃん何でキレてるの?」と妹や弟に言われる始末…

え?

「キレてないですよ!」と食い気味の長州さんばりの くまままが現れます 笑

いつも一緒にいる妹や弟には「しょっちゅう怒っているお姉ちゃん」として映っていたのです

このギャップ 笑

どういうことかというと、自分の「怒り」の感情に蓋をするといつしか心のタンクは一杯に

そうすると蓋を弾き飛ばして感情が漏れ出すことになります

溢れて少し隙間が出来たら、また蓋をする

わたしの心のタンクには いつも沸々とした「怒り」が溜まっている状態

なのでちょっとしたことがあると、すぐに「怒り」が満タンになって漏れてしまう

そんなことの繰り返し

いつしか「怒り」のおもらしが常習になっていたのです 笑

でも、それに対して気付いていない 認めない

「キレていない!」と怒りながら言うのですからたちが悪いですね~ 笑

それほどに思い込みの中では「怒っている」現実が存在してはならないのです 笑

そしてもっとたちの悪いことに、「自分は悪くない」と思っていたりするのです

なぜなら、
嫌な人=怒る人=悪い

という謎の方程式が発動し

自分の中では「怒らない」と思い込んでいる
  ↓
良い人=怒らない人=悪くない

となるのです 笑

「良い」とか「悪い」とか今関係ね~~って感じなのに…

だいぶ こじらせてます 笑

でも悲しいかな自分のそんな思い込みとは裏腹に「いつも怒っている」これが周りから見えている姿だったのです

まさに当初の「あんな風になりたくないな~」な状態に陥っていたという悲しい現実 笑

自分の状態と言葉のちぐはぐ感たるや…今ではその滑稽さが分かるのですが、当時のわたしには全く分かりませんでした

妹と弟に幾度となく言われて、「はっ!」と自分の状態に気付く

キレてないよ!
  ↓
怒ってないよ…
  ↓
いや・・・
  ↓
なんか腹立ってる…かも…?
  ↓
わたし怒っている⁉…
  ↓
怒ってます!

と自覚できるようになるまでに、結構な時間がかかりました

まずは 「怒り」の感情があることを認める ことが出来た くままま

怒らない人なんていないのにね 笑

そうなると同時に、採用していた方程式も崩れ去るので、幸いにして くまままは良い人でも悪い人でもない ただの「ヒト」になりました 祝!笑

怒ってもいい

「怒り」の感情を認めることができたら、次に挑むべきものは「怒ってもいい」と自分に許可することでした

何せ「怒ってはいけない」「怒ってはダメ」と繰り返し自分に禁止してきたものですから、「怒ってはいけない」状態が通常運転の状態…それが普通…普段当たり前になっていることほど気付きにくいものはありません

自分自身に禁止していることを見つけることも、なかなかに大変でした 笑

自分の顔は自分で見れないように、自分の中を見るのはとっても難しい

鏡をのぞくような視点がわたしには必要でした

自分の中をのぞいてみると頭で思っている自分とは かけ離れた自分が出てきます

知らないことだらけ…

わたしは「自分のことを全て分かっているような錯覚に陥っていたのだ」という事を知りました

同時に「自分の中は分からないことだらけで、すごく奥深いものである」という事を知ったのです

そんな中で見つけた、「怒ってはいけない」という思い込み

自分に禁止していた思い込みを見つけたら、外すだけ

そして真逆の「怒ってもいい」と許可を出す

何度も何度も自分に禁止してきたことなので、1回許可したところで また何度も何度も同じことを繰り返す

あれです 生活習慣病みたいだなと思ったものです 笑

ダメダメと禁止する習慣 笑

「怒ってはダメ」が習慣になっているので、「怒ってもいい」と許可することに違和感がでる

「そんなことしていいのかなあ…」

「なんだか怖い…」

謎の恐怖が出てきたり 笑

でも今まで何度も何度も繰り返して習慣化してきたように、何度も何度も許可して逆習慣化すればいい!

単純な くまままはそうやって 自分に何度も何度も「怒っていい」と許可していきました

最強の味方「自分」

なんでも、どんなことでも「そうだよね~」と共感してくれる強い味方

そんな人がいたらいいと思いませんか?

いるのです!一番近くに!それは自分自身!

くまままは 自分の中に最強の自分の味方を作ることに成功したのです

それにはこんな経緯があります

・・・・・

かつてのわたしは自分に否定的な言葉をかけることが習慣で大得意になっていました

「ダメなやつ」

「そんなことも出来ないのか」

「お前のせいだ」

「もっとやれ」

極悪でスパルタな監督

そんな感じ 笑

いつだって容赦なく追い立ててきます

自分自身の叱咤が、自分を鼓舞する要素に働けば、功を奏する時も多少あったのは事実です

でも大概は自信喪失…

そう、くまままは褒められて伸びるタイプなのです 笑

そして思ったのです

「どうしてそんなに自分に厳しいの?」と

そこには基本「自分は馬鹿な出来損ない」みたいな概念がありました

だからスパルタで言ってやらないと!という仕組み

自分の中のそれを見た時に、「はあ~正直もうやってらんね~」と思ったのです 笑

全て自作自演

そもそもの設定が「馬鹿な出来損ない」なら、もうそれでいいんじゃね?

それをなんとか良くしよう、良く見せようとするのをやめたらいいんじゃないの?って自分に思ったのです

そうです!「馬鹿な出来損ない」それの何が悪いんだ!

開き直りですね 笑

よく言えば、「それでいい、ありのままでいい」と認めることができたのです

隠すものはなくなった…

そうすると不思議なことに、今まで極悪スパルタ監督だった自分がスーパー共感仲間のような最強の味方に激変したのです!

くままま「ああ~嬉しい」

味方「そうだね~嬉しいね~」

くままま「疲れた~寝い~」

味方「うんうん 疲れたね~寝よう寝よう」

くままま「あいつ嫌い!」

味方「ほんとだよね~あれはないわ~嫌い嫌い~」

みたいな 笑

どんな気持ちも受け止めて共感してくれる

そうするとその気持ちが「ある」と、「あっていい」と素直に認められる

そんなわけで、今日も最強の味方「自分」は最大限の共感を くまままにもたらしてくれています

と同時に 極悪スパルタ監督であることも忘れずにいたいと思うのです

たま~に出てくるので 笑

その時には大体自分が 何かズレていることが多いのです

取り繕っていたり、心に反することを選択していたり、無駄に何かを課せていたり…

極悪スパルタ監督が出てきた時には要注意 笑

まあ どちらも自分なので、最強の味方には違いないけど 笑

で、怒りの時

くままま「あ~腹立つ!」

味方「そうだね~あれは腹立つわ~」

と共感してくれたら、もうそれで自分の中の「怒り」は認められる

認めたら なぜか「怒り」が消えていく

そんなことがよくあります

怒りを出す

最強の味方「自分」の共感を得ても溢れ出す怒りがある時もあります

そんな時は「怒りを出していい」と自分に許可しています

かつてのわたしの習慣だった我慢したり、蓋をしたり、あるものを見ないふりをしても自分が気分よく過ごせることはありません

どんな感情も認める

その上で「どうがいいのか」を選ぶ

結局は認めなければ選ぶことも出来ないのです

療養中にこんなことがありました

・・・・・

退院後、実家で療養をさせてもらい始めたころ

自分のず~~~っとある手足の痛みと痺れに、だんだんだんだんと腹が立ってくる

この左手で色々なものが扱えないことに、だんだんだんだんいら立ちが最高潮

どうしてこんなに持ちにくい形状なのか

どうしてこんなに開けにくい構造なのか

どうしてこんなに感じ取りにくい材質なのか 

色々な物に対しても怒りが出てくる

※少しお聞き苦しい表現が出てきますがご了承ください m(__)m

「なんでこんなに痛いんだ!」

「腹立つ腹立つ腹立つ!」

「馬鹿にするな!あほか!」

「手が満足に使えない者は生きるなってことか!」

※お付き合いいただきありがとうございました m(__)m

もう何に腹が立っているのか訳が分からない 笑

出るわ出るわ

あふれ出る怒りの感情

あふれ出る涙

もう、止めることはしない

あると認めるしかない

でも、それを聞く家族は大迷惑 笑

「すまん!今だけ許して!今だけ言わせて!3日間でいいから!」

3日間・・・

なぜか自分で言った「3日間だけ」という期間

こんなに醜い感情も全てあるんだよな~

クソみたいな言葉を吐きながら、どこかで客観的にそんなことをぼんやり思う

「こんな言葉を吐いたらダメ」だと思っていた過去の自分

「今だけ言わせて」という自分に、「言っていいよ」と許可を出した今の自分

どれだけ自分を美化したところで、この感情があるのが今の自分

それを認められるようになったことは進化したこと

そうして、3日間出し尽くす憤慨の山

不思議なことに、4日目の朝は 妙にスッキリとした気持ちで起きる

昨日までの「怒り」はどこへ行ったのかという程に落ち着いている

はあ~、本当に3日間だったな…

「みんな、
3日間嫌な思いをさせて
ごめんなさい m(__)m」

家族にそう謝ったのは言うまでもありません 笑

「怒りを出すこと」をした後は、痛みや動かないくやしさで泣くことはあっても それ以後「怒り」として出ることはありませんでした

そして、現状は変わらずとも今の自分を受け入れて淡々と出来ることをやっていく日常となりました


「怒りを出す」時には気を付けていることがあります

人を暴力で傷付けないこと

出来るだけ一人で「怒り」の感情を出し尽くすこと
例えば、車の中とか部屋とか外とか一人になれる場所で出す

一人が難しい、あるいは人に聴いてもらって出した後、落ち着いた時に 周りに迷惑をかけたと思ったら素直に謝ること

これは「怒りを出す」時の自分の中での美学です


どんな気持ちにもちゃんと居場所がある

心の中の気持ちを認めることで、その上で自分が「いいと思うのは?」と望む選択がやっと出来るのです

長年「怒り」に悩んだわたしですが、お陰様で心の中でこんなことをやりながら、割と穏やかな日常が繰り広げられているように思う くまままです

「怒り」を認めて、許したら、逆になぜか穏やかに過ごせる不思議…

「怒り」の感情もあっていい 笑

たまに爆発だってしてもいい 笑

そんなわたしで在ってもいい 笑

関連記事 気持ちに居場所を 大切にしたい「泣くこと」と「聴いてもらうこと」 | 楽ちんな珈琲タイム (rakuchinkohii.com)


最後まで読んでくれてありがとう

今日も素敵な一日を


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