【脱髄疾患CIS闘病記】第7話 「生きる」こと 手足は我が子

リハビリ記
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やあ~!

くままま、朝起きたら 体をさすることが日課です

朝起きてから体を なでなで~、痺れが強い時にも なでなで~、思い立ったら なでなで~

つまりは、一日の中に何度も体をさすります

その時にはいつも、脱髄疾患を発症したころを思い出すのです

麻痺で左の体は動かず、手足の場所も 触っている感覚も 全てが感じられなくなった時のことを

今日はリハビリが始まった日のことを書いてみようと思います

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ここからの闘病記はリハビリ記ともいえます

麻痺状態から再び体を動かしていく過程を綴ります

これはわたしの過去の体験です

ちょっとした物語と思って読んでいただければ幸いです


感覚が無い

ヒトは通常意識しなくても、ここに手がある、ここに足があると目を閉じていても分かっています

わたしも そうでした

むしろ、逆に手足の位置や感覚を意識したことなんて 無いに近いと言ってもいいくらい無意識です

感覚が吹っ飛ぶまでは・・・


何も感じなくなるという事は どういうことか、想像するのは難しいと思います

わたしも経験したからこそ 分かりますが、経験しなかったら絶対分からなかった感覚です

目を開けていると見えるので、視覚的にとらえた情報で頭では「ここにある」と思えます

しかし、目を閉じると…何も感じない…わからない

それは「無いに等しい」…

一言で言うとそんな感じ


入院したての頃は「わたしの手、どこにありますか?」と看護師さんに毎回聞いていました

寝たきりなので、自分の手足は見えないのです

見えるのは天井だけ…

見えないという事は、認識できない

変な角度になっていようが、自分の体に敷きこんでいようが 全く分からない

看護師さんに「ここにありますよ」とお腹に左手を持ってきてもらう

右手で捕まえてやっと「ここにある」と認識する

そんな毎日でした


生命力


2020年11月23日

入院3日目


わたしの部屋を訪れる人がありました

その人は作業療法士さん

その日から退院するまで、本当にお世話になった方の一人です

その頃のわたしは、精神的にまだ不安定

急な展開に病状と現状を受け止めきれずにいました

そんな中、現れた作業療法士さん

この日は、感覚がない手や寝たきりで がちがちになった背中などをほぐしてくれます

そして 脊髄の病気についてゆっくりと話してくれました

もし体が動かなくても 社会生活は出来ます

そうきっぱりと言い切ってくれたのが印象的でした

車椅子もある、なんなら電動の物もある

車も福祉車両があるし運転しようと思えばできる

人生これから 生きるんですよ!

そう言ってくれました

その言葉に勇気をもらったのは言うまでもありません

また日常に戻れるかもしれない

今までのようにはいかないかもしれないけれど

どんな形であれ、命があるなら生きていくことはできる

そう思ったのを覚えています


その日 何度も聞いたのは

生命力 という言葉

脊髄の病気の方は首から上はしっかりしています

なので、自分の状況や痛みや色々を頭でクリアに理解しながら 体験しなくてはならない

その分、辛いことが多いかもしれない と言います


自分がどう生きたいか、体が動かないとしても自分らしく生きるには

生命力が大切なのだと その日理解できました

絶望真っ只中の わたしに「生きる」ということを思い出させてくれた そんな印象です

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作業療法士さんがかけてくれた言葉の中に

リハビリはストレスで回復する というものもありました

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動かない体をどう扱いたいのか…

わたしはこの体と一緒に どう生きたいのか…

そしてストレスをかけながらリハビリして回復したい!…

という想いが その日わたしの中で生まれたのです

これは急な事態に翻弄されていた自分から、

「わたしはどうしたいのか」という主体性をもった 自分事 になった日でもありました


手足は我が子

そして、その日に一番響いた言葉

「動かない 自分の手足は 我が子 と思って 触ってあげる」


入院して我が子に会えないわたしにとって、この言葉はぐっときました

そして同時に決意したのです


動かない手足を感じ取れない分、「無い」と思ってしまいがちな毎日に 確実に「ある」のだと認識する時間をもとう


そうして、その日から 毎日できる範囲で 手足をさする ということが習慣になりました

朝起きると、まずは動かない左手を右手で なでなで~

左手足は我が子いちごちゃん と にこちゃんを思い浮かべながらさすります

「いちごちゃん おはよう~ 生まれてきてくれて ありがとう 今日も一日楽しんでね」

「にこちゃん おはよう~ 生まれてきてくれて ありがとう 今日も一日楽しんでね」

そう言いながら、順番にさするのです

右側を触る時には、左手は動かないので 無理やり右手の上に乗せ、右手を動かして撫でている風 笑

右手は妹と弟、右足は両親、お腹はオットさん…

そんな風にみんなを思い浮かべながら 毎日毎日体をさすりました

不思議とみんなに会えていないのに、自分の体に語りかけることで 少し安心するというか落ち着いてくる感じがします

なんだか みんながここにいるような 会えているような錯覚に 笑


今思うと、体をさするということは 精神的にもよかったのかもしれません

そして、自分の体や周りの人々に感謝をもって向き合う時間でもありました


体を触っている感覚は感じなくとも 確実に皮膚から入力されているのだとわかったのは、少し感覚が感じられるようになってきたころでした

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皮膚は優れた感覚器官なのだと身をもって理解しました

皮膚を触るという感覚の入力がリハビリの第一歩 だったのです


赤ちゃんがいたら、沢山触ってあげたいな そう思います

抱っこすることで皮膚から感覚入力しているとしたら…

たっぷりの愛情で包んであげたいなあ

もちろん我が家の大きくなりつつある子供達も、沢山触ってあげたいと思うのです

手を握るだけでもいい…

背中をさするだけでもいい…

髪を丁寧に梳いてあげるだけでもいい…

皮膚からの入力は確実にされているから

「あなたを大事に想っている」

そんなことも入力されているのではないかな~なんて思うのです


今日も朝から くまままは 我が子を触るように 自分の手足をさすります

ここに手がある ここに足がある

今ここに体を持って 生きている

わたしを作る全てのもの、わたしを囲むすべてのものに

「ありがとう」と感謝を込めて…

そんな毎日のルーティンは現在も続いています


最後まで読んでくれてありがとう

今日も素敵な一日を


追記:わたしが脱髄疾患(clinically isolated syndrome:CIS)と診断がつき、病気のことについてネットで検索しました

脱髄疾患の中でも、難病指定されている 多発性硬化症(MS)、視神経脊髄炎(NMOSD)の情報はあるのですが、第1回目の脱髄であるCISは人数が少ないこともあるのか、その後MSやNMOSDへと移行する可能性があるからなのか、あまり情報がありませんでした

脱髄は脳や神経の発生する場所によって、症状も様々だと思いますので、必ずしも わたしの体験と同じということは少ないかもしれません

それでも、病気と向き合う中、体や心、日常で感じることは似たこともあるのではないかと思います

もし同じような状況下にある方や、周囲で支える立場にある方々、病気の情報が欲しい方に この記事たちが何かのお役に立つことがあるなら こんなに嬉しいことはありません


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