【脱髄疾患CIS闘病記】第8話 目標と痙縮と逡巡

リハビリ記
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やあ~!

手足を触り、皮膚からの感覚入力から始まったリハビリ

平日は毎日、土日はどちらか1回の頻度で始まりました


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前回の振り返りはこちら↓

【脱髄疾患CIS闘病記】第7話 「生きる」こと 手足は我が子 | 楽ちんな珈琲タイム (rakuchinkohii.com)

闘病記の始まりはこちら↓

【脱髄疾患CIS闘病記】第1話 病気のはじまりの巻 | 楽ちんな珈琲タイム (rakuchinkohii.com)


これはわたしの過去の体験です

ちょっとした物語と思って読んでいただければ幸いです


目指す目標


リハビリ 2日目

2020年11月24日

入院4日目


朝、介助してもらいながら食事を終えて歯磨をする

しばらくすると 作業療法士さんがやって来ます

入院間もないこの頃は、動けないのでリハビリはベッドサイドで行います

まずは、寝ている体勢から体を起こす

これは半分くらい手伝ってもらって なんとか起き上がる

そのまま、ベッドの端に足を垂らして座ります

座った体勢になると そのまま保持することはできます

しばらくは この体勢のまま 作業療法士さんと お話し…

「右の運動機能が残っていること、頭がしっかりしていることは よかったところ」

そう言ってくれました

確かに、右手が使えることで スプーンを持てたり、歯ブラシを持てることは入院して唯一自立して行えること

この体を使って自分で出来ることが少しでもあるのは嬉しい事です

「国の制度でリハビリは6カ月…長期の入院になります…

車椅子に自力で乗れるようにリハビリしていきましょう」

作業療法士さんの その言葉で はっとしました

当時のわたしには、自分で車椅子に移乗することなんて 夢のような話でした

動かない左手足をどう扱えば、自分の体を車椅子まで運んであげられるのか…

全く見当もつきません…

車椅子を使えたら、動ける幅が格段に広がります

自力で車椅子に乗る…


今後、再び歩くことは難しいだろうと覚悟はできている

しかし、東京の病院へ転医の話も まだ固まっていない現在

たとえ、手術をしたとしても 今以上の機能が失われていたとしたら…

前向きにリハビリを頑張りたい気持ちと、先の見えない不安とが入り混じる

この日の気持ちは複雑でした

しかし、先の事を考えたところで

見えない …

分からない …

決まっていない …

考えれば考えるほど、想像力豊かな自分が創り出した 不安と恐怖が大きくなるだけです


今は「今」に集中しよう

今は「今」出来ることをしよう


そう思ったら 少し楽になりました

どのみち、今のわたしに出来ることは 始まったリハビリを頑張ることぐらいしかありません

「今」わたしが こうだったらいいなと思うこと…

これ以上の体の機能の悪化は防ぎたい

あわよくば 出来ることも増やしたい

色々な思いや考えの逡巡の後

やっと、今「こうしたい」という主体性のある思いを掴みました


目標は決まりました

自力で車椅子に乗れるようになること

出来ることをやるだけ

前向きに頑張ろう

そう思ったことを覚えています


痙縮との向き合い方

リハビリが始まったころの わたしの左手足の状況はこんな感じでした

左手
  手の指は握ったままになっている 
   麻痺で自力では開けない

腕  肘の部分で曲がっている 

●左足 足首が内側に曲がっている

これは 痙縮(けいしゅく)と呼ばれる症状で、筋肉が緊張しすぎて動かなくなったり、勝手に動いてしまう状態

クローヌス 関節が軽度の刺激などで 勝手に何回も動いてしまう

スパズム 筋肉が強く収縮して 痛みを伴う

などがありました

勝手に手足が動くのは、本当に不思議な体験です

自分の意思とは全く無関係

勝手に謎の動きを始めるのです…

だいたい、不意にそれはやってきます

たいていは なんでもない時に 急にやって来るのですが

あくびをした時、笑った時、不安になった時などは 特に勝手に動き出します

そんな時には、

「勝手に動く 手足をよしよし してあげる」

そう 作業療法士さんは教えてくれました

よしよしして すぐに止まるわけではありませんが、手足をさわっていると 気持ちは落ち着いてくるような気がします

勝手に動き出したら よしよしと さすることは いつしかわたしの習慣になりました

これも、感覚入力の一つになっていたのかな…今はそんな気がしています

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少し時系列が変わりますが、痙縮で思うこと…

実生活に戻ってから 痙縮で困るのは やはり出先

不意にやってくるので やはり少々人目が気になる

お店などで 急に動きだしたり 笑

止めようにも、自分の意思ではどうしようもないので しばらくそのままにしておくしかありません

唯一できるのは よしよし すること…

家に戻ってから 初めの方は特に 出先での痙縮は気になっていました

慣れてくると、あ~また来たよ~ くらいな気持ちで 平気でいられるようにもなりました

ヒトは慣れる生き物ですね… 笑

現在、この不随意運動はほとんど見られなくなっています

退院してから 数か月後のある日を境に 止まったのです

ずっと残るのだろうなと思っていたので、これには少々驚きました

今 唯一残っているのは、あくびをしたとき

左手があくびに合わせて勝手に宙を旋回します 笑

そんなときは、やっぱり手足を よしよし してあげます

続く逡巡

ベッドに座って作業療法士さんと しばらくしゃべる

少々重たい今の気持ちを聴いてもらうこともあったし、ある日は趣味の話、ある日は過去の話、ある日は作業療法士さんの日常の話…

つまりは、毎日よくしゃべりました 笑

楽しい時間だったなあ…

そう思っていたのですが、これは大いにリハビリだったのだと思う現在

寝たきりのわたしが、座る姿勢でいることは 実はとっても疲れることなのです

それを、楽しい会話で その時間を少しでも無意識に座っていられるようにしてくれていたのだと気付いたのです

わたしの性格なども含めたうえで さりげないサポートを毎日たくさん してもらっていたのだと有り難い気持ちになりました

そのおかげで、座る姿勢でいる時間も少しずつ伸びていきました


座った姿勢の後は、テーブルを使って立ってみる

体を支えてもらって、麻痺が無く感覚の残っている右足重心で立っていたと思います

何せ左足は床に着いていたとしても 感覚がないので踏んでいるのか分からないのです

手は右手をテーブルに乗せて倒れないように支える

介助してもらいながらですが、少しの間でも 足を踏ん張って立つという感覚は新しいものでした

目線が変わるだけでも嬉しかったものです


自分では動かせない手足のストレッチや上肢を動かすことも毎日してくれました

そうすることで 痙縮が若干ましになっているように感じます


リハビリを前向きに取り組もうという気持ちは持てたものの

近いうちに 決めなければならないことが 頭をちらつく


東京の病院での手術・・・

行くか 行かないか・・・


オットさんは

「出来ることがあるのなら、やろう」

そう言ってくれている

作業療法士さんは

「東京は先進医療が進んでいる 手だてがあるのはよかった」

と言ってくれました

・・・・・

さて、わたしはどうしたいのか…

どうだったらいいのか…

逡巡は続きます…


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今日はこの辺で

最後まで読んでくれてありがとう

今日も素敵な一日を


追記:わたしが脱髄疾患(clinically isolated syndrome:CIS)と診断がつき、病気のことについてネットで検索しました

脱髄疾患の中でも、難病指定されている 多発性硬化症(MS)、視神経脊髄炎(NMOSD)の情報はあるのですが、第1回目の脱髄であるCISは人数が少ないこともあるのか、その後MSやNMOSDへと移行する可能性があるからなのか、あまり情報がありませんでした

脱髄は脳や神経の発生する場所によって、症状も様々だと思いますので、必ずしも わたしの体験と同じということは少ないかもしれません

それでも、病気と向き合う中、体や心、日常で感じることは似たこともあるのではないかと思います

もし同じような状況下にある方や、周囲で支える立場にある方々、病気の情報が欲しい方に この記事たちが何かのお役に立つことがあるなら こんなに嬉しいことはありません


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