言葉と気持ち一致してる?心ポリスのパトロール

こころ
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やあ~!

くままま 現在一人で「謝らない週間」を実施しております

「ごめん」の取り締まり

交通安全週間 ならぬ「謝らない週間」 笑

1人で実施しておりますので、取り締まりもセルフサービスです 笑

「ごめん!」という度に、「ピピ~~~ッ」と心の中で笛が吹きます

そして取り締まりが始まる・・・

くまままの心のポリス(以下 ポ)
ポ 「はい!今 ごめん と言いましたね~ 今のは心からの ごめん ですか? それとも いつもの口走ってしまう心と一致していない ごめん ですか?」 

「あなたの落したのは 金の斧ですか? 銀の斧ですか?」くらいのテンションで究極の二択を くまままの心のポリスは容赦なく問うてきます

くままま(以下 く)
く 「ああ~ 今のは つい出てきてしまった ごめん です」… と正直に言うと

ポ 「じゃあ、本当は? どういう気持ち?」 と畳み掛けられます

く 「本当は・・・ありがとう かな」

ポ 「じゃあ、直ちに訂正してください さあどうぞ!」

相手に対して伝えなおす くままま

く 「今言葉で ごめん と謝ったけど、ごめん じゃなくて本当は ありがとう と言いたかったんだ」

・・・・・

ポ 「ハイ! よくできました~ いってよ~し」 

そんな感じで、くまままは現在一人 心の茶番劇場を繰り広げているのです 笑

にしても「ごめん」と「ありがとう」じゃあ えらい違いだな 笑

無意識の口癖

わたしが中学生の頃の話

ある日の休み時間、いつものように友達と おしゃべりをしていました

いつもニコニコ笑顔が特徴の彼女が、くまままに 突然こう言ったのです


「もう! すぐ ごめん!って言わないで!」


この言葉に ある種の衝撃を受けた わたし

全く「ごめん」と言っている自覚がなかったのです!

彼女の言葉を聞いた直後にはこう言っていました


「ごめん!・・・」 


だめだこりゃ 笑

それほどに、口癖のように言葉で謝っていたという事実

それなのに、その自覚がないという衝撃の事実

それからというもの、自分の発した言葉チェックが始まりました

すると一日の中に何度も口走っている「ごめん」…

そもそも、どうして わたしは謝っているのだろう…

何に謝っているのだろう…

自分の中には色々な理由がありました

自分のせいだと思ってしまう…

自分がもう少しどうにかできたらよかったのに…

自分なんかのために やってもらって申し訳ないと思ってしまう…

そもそも、自分が何も上手く出来ないダメ人間だと思っている…

つまりは、自分の存在を憂いている

こんな自分が存在して ごめん…

最近よく聞く自己肯定感なんてあったもんじゃありません

なんと悲しいことでしょうか…

中学生が…そんな心理状態で生きているなんて…

過去の自分の事とはいえ、子供は無邪気に笑って ありのままでいてほしいと願う くまままおばさん 笑

そして、気付いてしまったのです

つきつめると、向いている意識はダメな自分…

それって、目の前の相手に対峙していない 

相手の話をちゃんと聴いてない!・・・ってことなのでは!

そりゃ、友達も怒るわー 笑

そんなこんなで、本当に謝罪したいのかどうかを自分に問うことが始まったのです

大げさな謝罪

だいぶ無意識に謝ることは減ったと感じていた20代 こんなことがありました

予定がない時のいつものように 家で過ごしていました

突然鳴る電話・・・

「もしもし~ くままま今日どうしたの? 何かあったの?」と友人

「約束の場所に来なかったから 何かあったのかと思って…心配だったから電話したの」


はっ!!! やってしまった~!


人と会う約束をしていたのに、すっかり忘れていたわたしは 声を大にして言いました


「ごめ~~~ん!!!」


その後、急いで友人のもとへ駆けつけた わたし

何度も「ごめんなさい」と平謝り 笑

「何もなかったなら良かったよ そんなに謝らないで」と友人

その時思ったのです

これは本当に心の底から「ごめん」と思ったこと

謝罪の気持ちマックスの時には わたしは とっても 大げさに謝る癖 もある 笑

こんなに大げさなのに、プラス まだ日常で謝ってたらそりゃ過剰だわな 笑

と、自分を客観的に見れた出来事でした

気持ちと言葉の一致

最近の くままま心ポリスの一人パトロール

きっかけは、ある日の にこちゃんのこんな言葉でした

「にこちゃん、なんか自分が悪かったように思っちゃって すぐに ごめん て言っちゃうんだよな」

例えば、わたしの体調があまりよくなくて痺れが強くて痛いときに「痛い~」とつぶやいていると、にこちゃんが「ごめん」と言う

「なんで謝るの?」と聞くと、「さっきママに これして~って頼まずに 休ませてあげたら疲れなかったのに にこちゃんのせいだ」…

自分のせいかも「ごめん」という心の裏には大きな優しさもあると思います

思ってくれるのは有り難い

だけど、言葉を受け取る立場になると「自分のせいだ ごめん」より、「これをしてくれて ありがとう」のほうが嬉しいかもしれない…

こんなことが続き、これはママの体の問題 にこちゃんのせいでも何でもないよ というやり取りを幾度か繰り返しました

学校でも 「ごめん」と言ってしまうことが ちょくちょくあるそうで、もちろんわたしが思い出したのは中学生の頃のこと 笑

それから、にこちゃんと二人で「ごめん」という度に「今のは ごめん・・・じゃないか」と 今 発した言葉と気持ちの確認をするようになりました

何せ長年の習慣ですので わたしも つい ごめん じゃない場面で「ごめん」と口走っている…なんてことが今もあります 笑

「ごめん」の取り締まりが始まったのにはこんな経緯があります


でも同時に思います

ごめんなさい と言えることは素敵なことです

自分の非を素直に認められることは素晴らしいと思います

そしてそこには 言葉と気持ちが一致している

そんな言葉を発していきたい

そう思いながら くまままの心ポリスは今日もパトロールを続けています

「にこちゃ~ん、コタツのスイッチ入れてくれない?」

「いいよ~」 カチッ

「ごめん・・・じゃなかった ありがとう」 笑


最後まで読んでくれてありがとう

今日も素敵な一日を


↓心の声を聴く時に お花を眺めてリラックス◎

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